雨で蓋う

 月島の両親に初めて会った。話の内容の半分も理解できない団欒のひとときにこそばゆさを感じながら、適当に相槌を打っていた。友達の家族と食事するのは初めてだった。月島は俺にとって友人ではないが、月島は俺のことを両親に「まあ、友達」と紹介した。
 月島の母親は人から料理を習っていて、毎週日曜の夕方は不在だ。父親は会社員で、出張が多いから、いないことが多い。月島と父親が一緒に夕食をとるのは一週間ぶりだそうだ。そんな日に招かれた俺は、どういう気持ちでいればいいのか、会話が始まってからもわからないままだった。
「飛雄くん、サイズぴったりだね、蛍のTシャツ。ズボンは大丈夫? 大きくない? ま、多少大きくたって大丈夫だよね」
 特に家族の会話の邪魔にはなっていないらしい。話しかけられると場に馴染めているような気がして安心するが、気の利いた返事ができるわけではない。風呂から出て、用意されていた月島の服に着替えた時のことを思い出した。
「あ、うす。あざす」
 なぜだか目を合わせられず、小鉢のきんぴらごぼうに箸をつけながら、かくんと頭を下げた。なるべく避けていた輪切りの鷹の爪をかじってしまい、口の中が痺れたので、茶碗に残っていた米を思い切りかきこんだ。
 月島は俺を部屋に誘うとき、必ず両親がいない日時を選んでいた。ふたりきりになりたい時はどちらかの部屋に行くことになるが、両親が遅くまで家を空けることの多い俺の家に行くことがほとんどだ。俺はそれでもいいと思っていたが、なにかと考えすぎる月島は、タイミングが合う日であれば俺を自宅に誘った。片方の部屋に入り浸る申し訳なさは、まあ、なんとなく俺にもわかる。親の影が一切ない別の場所を選びたいところだが、俺たちはまだ高校生だから、残念ながら選択肢はほとんど一択だ。
「雨、すごいなあ」
 口数の少ない父親が、煮付けられた魚をほぐしながら、誰に対してでもない様子で言った。窓の外を見に行っていたわけではないが、雨粒が激しく窓に当たる音で今の天気を想像したのだろう。
「たぶん寂しくなったと思うよ、こんな日に、ひとりでいたら」
 今度は俺の目を見て、微笑みながらそう言った。先ほど母親のほうから俺が来た経緯を説明されていたから、それを受けての言葉だ。月島に車に乗せられていなければ、雨音や雷鳴を聴きながら、俺はひとりで飯を食って、誰とも話さず眠る予定だった。月島の両親は、俺の両親を非難したり、同情の目を向けたりせず、ただ遊びに来た月島の友人として接してくれている。
「もう慣れてますけど、今日寂しくならないのは間違いないです」
 助かりました、と付け加えて、照れ隠しに味噌汁をすすった。月島が「寂しいってガラじゃないでしょ君」と言いたそうな顔をしていたが、無視して食事を続けた。
 部活が終わった夕方頃にはすでにひどい天気だったので、月島の母親が学校まで車で迎えに来た。月島は俺に何も聞かずに「こいつも乗せて」と言った。今日は親がいるのに、部屋に行ってもいいのかと思ったが、俺は何も言わずに従った。それとも、俺の家まで送るつもりなのだろうか。どちらにしても申し訳ない気持ちになったが、この雨なので、急かされるままに車に乗り込んだ。
「ちょうどね、車で買い物に出てたの。ついでに蛍を拾っちゃおうと思って。ほんとすごい雨」
「助かったよ、こんな中歩いて帰るの憂鬱だったから」
「すみません」
 半ば強引に乗せられたので、月島には謝らないが、母親には挨拶がわりに謝罪した。月島と母親との関係は良好らしい。
「影山飛雄くんね、おうちどこ? 送っていけばいいんだよね」
「あ、ううん、うちに泊めるつもりで」
「そうなの? お魚たくさん煮たからちょうどよかった。すぐにお風呂沸かさなきゃね。あ、蛍、お父さん帰ってきたよ」
「ああ、うん」
 親子のやりとりをただ聞いていた。いつもと少しだけ違う月島から目が離せなくなった。見つめていたら睨まれたので、睨み返した。
「お母さん」
 お母さん。月島の声では聞き慣れない柔らかい呼び方に驚いた。なんだかどこかがかゆいような気がして、落ち着かないのを悟られないように固まっていた。それがバレてまた睨まれた。
「……何買いに行ってたの、こんな天気なのに」
「ああ、お味噌が切れちゃったの」

 ご馳走様でしたと手を合わせて、すぐに食器を下げようと重ねていたら、そのままでいいと止められたので従った。こういうことには各家庭にルールがあるのだ。
「何か出来ることあったら言ってください、俺手伝います」
 茶化されると思ったが、月島は黙って麦茶を飲んでいて、何も言わなかった。
「ありがとう、飛雄くん。その気持ちだけで嬉しい。部活でへとへとなんだし、ゆっくり休んでて」
「あざす」
「もう上行く。ごちそうさま」
 麦茶を飲み干した月島が立ち上がった。俺もそれに合わせる。
「はいはい。あ、蛍、お布団出しといたからね」
「ああ、うん、ありがと」

 月島の部屋に入り、扉を閉めた瞬間、先ほどまでおとなしかった月島が豹変した。あとから入った俺の方に振り向いて、するりと腰に手を回してきた。キスをされると思ったが、抱きしめられただけだった。完全にスイッチが入っている。
「僕の、シャンプーの匂い」
「おう、使った、サンキューな」
「僕の、服着て」
 急に泊まりにきたんだから仕方がないだろう。借りたTシャツには犬のキャラクターが大きくプリントされている。月島はこういうのが好きなのかと、恋人に関する知識が増えたみたいで嬉しかった。替えの下着と歯ブラシだけはカバンに入っていたので助かった。
「困る」
「連れてきたのお前だろ、なんだよ困るって」
「最初は、王様がずぶ濡れで帰るのに、僕だけ車って、なんかやだなって思っただけなんだよ」
 思い出したように抱きしめ返すと、月島の腕に一層力が入ったのがわかった。
「ほんと困るよ」
「迷惑だったか」
「違うよ、バカ」
 月島は腕の力をゆるめて一度離れ、俺の両方の手を取りながら、ひとつだけキスをした。
「一緒に暮らしたくなった」
 バカはテメーだと太ももを蹴りたくなった。嬉しかったが、流石にまだ無理だ。ただ、大人になっても一緒にいたなら、別に考えてやってもいい。
 
「親に、聞こえてもいいのか」
「聞こえないよ、絶対。雨すごいし」
 ベッドの軋む音は下に響くので、俺が寝る予定の来客用の布団を選んだ。普段あまり使わないとのことだったが、きれいな白いシーツがかけられており清潔な感じがする。月島はそこにタオルを敷いて、俺をそっと寝かせるように押し倒した。寝るには早い時間で、俺たちは夏休みの課題を一緒にやっているという設定だから、なんとなく電気はつけたままだ。
「なんか」
「なに」
「すげえ、しちゃいけないことしてる気分」
「いつもしてることなのにね。今日はちょっと、声、我慢して」
 わかった、と返事をしようと開いた口は塞がれてしまったので、ん、と喉を鳴らして済ませた。

 いやらしい水音は激しく降る雨の音にとろけてなくなり、音にならないよう飲み込んだ声は涙となって流れて落ちていく。こいつはコレを「いつもしてること」と言ったが、明らかに普段通りではない。月島はいつもは俺の耳を噛んだりしない。目線が低くて落ち着かず、目を閉じる。は、は、と耳元で呼吸の音がする。挿入された性器が浅いところを行き来していてもどかしい。
「ん、もっと、奥」
「今動いたら出ちゃうから、待って」
「バレる前に、終わらせた方がいいだろ」
「確かにね。でも、もうちょっと、こうしてたい」
 俺はこんな姿をお前の親に見られたくはない。本当に、部屋に入ってきたりしないのだろうか。気が気じゃない。いつもは昼から夕方にかけての薄暗い部屋でしか裸になったことがなく、煌々と輝くシーリングライトに照らされるのは何とも居心地が悪い。あと、さっきから月島の様子が変だ。
 
 二年生に上がる頃、部活の帰りに月島に無言で手を握られて、指を絡められたのが始まりだった。頭がおかしくなったのかと思い、心配が勝って強く抵抗できなかった。月島はそれを了承と捉えたのか、次の瞬間には俺の唇を奪った。
「何すんだよ」
 俺はすぐに月島を突き飛ばした。動揺を見せないよう、あまり声を荒げないようにした。メガネの位置を正しながら、月島は「ごめん、びっくりさせて」と言った。
「びっくりなんかしてねえ」
「王様もご存じの通り、僕、素直な気持ちを言葉にするのが下手で」
「だからって、どう考えてもこれはおかしいだろ」
「じゃあどうすればよかったの」
 月島は大きめの声で言った。身長が少し縮んで見えた。こんなに可愛らしいやつだったか。すぐに手を振り払わなかった俺も、少しは月島に気があるんじゃないかと思ったのは、錯覚だろうか。月島に、何かの術をかけられていないか。
「付き合ってくださいって言えよ、まず」
「付き合ってクダサイ、王様」
「お前、俺と付き合いたくてこんなことしたのかよ」
「違うよ」
「あ? じゃあなんだよ」
 月島のとる行動には必ず理由が存在する。こんな突飛な行動はあまり取らないが、全ては論理的で、思考の道筋を辿ることができるはずだ。
「影山ににキスしたかっただけ」
 そうか。お前は俺にキスがしたかったから、キスをしたんだな。
 
 付き合い始めるきっかけとなった出来事も、変になった月島が起こしたことだ。俺の身体から、月島を変にする物質でも発せられているのだろうか。今の月島に数学のテストを解かせたら、日向と同じくらいの点数しか取れないのではないか。それくらい、とにかく、変だ。
「お前の母さん、料理うまいな。明るいし」
「今お母さんの話しないで」
「バレたらどうする」
「バレないってば。はあ、集中してよ。背徳感でもう死にそう」
「ハイトク?」
 乳首をつまみながら難しい言葉を使うな。
「誰も見てないところで、悪いことをしてる時の、感じ」
 一階に両親がいることが、こいつを狂わせているのか。いつ話しかけられても、部屋にいきなり入ってこられてもおかしくない状況で、俺たちは見られてはいけない、知られたら困ることをしている。早く終わりにして服を着たい。だけど、もう少し裸で抱き合っていたい。もうすぐ一階から名前を呼ばれるかもしれないと、部屋にぬちゃぬちゃと肉が触れ合う音を響かせながら、常に身構えている。俺もきっと、月島ほどではないが、似たような興奮を覚えている。くせになったら、良くない気がする。
「あっ、ア、んん」
「バカ、声っ」
「ん、ン……っ」
 気持ちいいもんは仕方ない。きっと豪雨がかき消してくれた。お前がいきなり奥にくるのが悪い。この行為がバレて親と気まずくなるのはお前だけだ。体を揺すられながら一生懸命声を我慢する態勢を整えていたが、どうしても確認したいことを今思い出した。
「お前、メシ、んとき」
「ッ、なに」
 月島は腰の動きをゆるめて話を聞いてくれた。どう考えても話しかけるタイミングではなかった。月島は今たぶん射精する感じになっていた。少し申し訳ない。
「メシん時から、したかったんだろ」
「なんで」
「なんとなくな」
「なんで、バレてんだよ、もう」
 親に内緒で付き合っている俺が、月島の服を着て、月島と同じ匂いで、月島の家に居る異常事態に、こいつはやられてしまったんだと思った。理解できなくもないが、変わってるなとは思う。今はとにかく気持ちよくてなんだかどうでもよくなってきたが、またひとつ月島を知れて、俺は嬉しい。
「……っ!」
 ひどい照れ隠しだ。月島は俺の身体を強い力でふたつに折りたたんで、思いきり腰を打ち付けた。声を出さないようにするのが難しいので、月島が射精するまで息を止めることにした。
「はあ……、イ……っ」
 月島はもう限界だそうだ。奥を何度も突かれ、内臓が押し上げられる感覚。一番気持ちいい場所を攻められて、頭がぼうっとして、目の奥がチカチカと光っている。息を止めているせいなのか、もしかして今俺も一緒に絶頂を迎えているのか。それとも、ライトの光が眩しかったからなのか。

「蛍ー!」
 ふたりして裸で呆けていたら、一階から月島の名前を呼ぶ明るい声が聞こえた。と同時に、月島は音の速さで服を着ながら、元気よく返事をした。バタバタと出ていった月島を目で追う。「デザート出すの忘れてたから持っていって食べて」とぼんやり聞こえた。月島が急いで身につけたTシャツはたぶん裏返しになっている。声をかければよかったと、行ってしまってから思った。幸い無地だし、きっと大丈夫だろう。母親がそれに気づかないことを願うばかりだ。

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