記念日

月影SS。高2春ごろの話です。


 自分の考えが他人に共感されなかった経験が多すぎるので慣れてはいたが、好きになった男に「理解不能」と吐き捨てられたのはかなりの破壊力だった。あいつは初めて会った時から、いや、きっと俺と会う前からも、そういう性格、そういう話し方だ。別に、慣れている。理解してもらえるかもしれないと妄想した自分の落ち度だ。傷ついたが、すぐに元通りになる。
 好きな人に告白して、振られる。なんてことない。健全な、普通の高校生の、普通の、日常だ。

 単純だの単細胞だの、チームメイトやクラスの奴から馬鹿にされることは多い。バカじゃねえ、と返しているが、実際馬鹿なんだと思う。勉強ができないし、言葉が足りないのか、何かを説明しようとしてもうまく理解してもらえない。
 月島は頭がいい。俺の乏しい言語力でも、伝えたいことを最大限に汲み取ってくれる。この間「影山の顔を見ただけで何が言いたいか大体分かるようになってきた」と言われたのは嬉しかった。これは明らかに皮肉だし、本当は喜んではいけないのかもしれない。自分の言葉の足りなさが招いた、月島の人生には全く不必要な特殊能力。
 二年生になった日、俺は珍しく風邪をひいた。朝は喉に違和感があるくらいだったから、多めにうがいをしてから家を出た記憶がある。先生とコーチが不在の中練習が始まり、ウォームアップのメニューである軽いランニングが終わったあと、月島に「体調悪いなら帰れば」と言われた。
 自分でも調子がおかしいのは分かっていたのに、反射で「悪くねえ」と言ってしまった。月島は表情を変えず、自分の額に右手で、俺の額に左手で触れた。近づいてくる長い指が恐ろしくて目を瞑り、前髪をめくられて滲んだ汗を拭われる感覚に驚いて後退りした。

「谷地さん、体温計あるかな。こいつ多分熱あるよ」
「あ、うん! 影山くん、こっちこれる?」

 谷地さんに呼ばれて歩こうとすると、熱があることに気付かされたからか、月島の行動に動揺したからなのか、足元がふらついてよろけてしまった。転ばずに済んだのは、すぐ近くにいた月島のおかげだった。

「王様は体温計の数字見るまで熱あるって認めないでしょ」

 月島は少し笑いながら言った。こいつはどうしてこんな風に、ずっと一緒だったからわかってる、みたいなことを言うんだろう。俺たちは周りから仲が悪いと評されていて、実際そうだと思っていたのに。月島との言い合いが多いのは、精神的な距離が遠く離れている証明ではなかった。喧嘩なんかしてもらえなかった王様の俺が、何よりも欲しかった距離だったのかもしれない。
 そばにいてほしい、と思ってしまった。
 熱に浮かされ、まとまらない思考の中で自覚した、夢のような感覚。俺の足りない脳みそでは、話し言葉に変換することができない。検温終了の音が聞こえる。俺はとうとう自分の体温を数字で読むことはなかった。

「保健室開いてるよね。王様はおねむみたいだから」

 おねむじゃねえ。反論できたかどうかはわからない。意識はある。声が出ない。熱からくる涙で視界がぼやけている。少しずつ、自分はひどい風邪をひいてしまったのだと自覚していく。
 次に気がついたら、保健室の白い天井と布が目に入った。月島もいた。あれからどれくらい経ったのかわからない。

「じゃあ僕練習戻るから。コーチか先生来たら、家まで送ってもらいなよ」

 俺が意識を飛ばしていたのは少しの間だけだったようだ。去っていく月島の、練習着の裾のあたりが伸びてシワになっている。さっきまで俺が掴んでいたところだと思った。礼を言って、謝りたかった。それから、まだ行くな、と言いたかった。


「ちょっと待って。ごめん。やっぱ理解不能」

 久しぶりの部活のあと、ほかに誰もいなくなった部室で月島に「好きだ」と言った。始業式の前日だった。言ったあとで、俺は月島の気持ちを考えずに自分の気持ちをぶつけたことに気が付いて、後悔した。俺は昔から、人付き合いに関しては、ほとんど何も成長していない。その結果が、こうだ。
 俺は月島に何かしてほしいわけではなかったし、校内にありふれたカップルのような関係になりたいわけでもなかった。いや、少しだけ、なりたいと思ったから、伝えたかったのかもしれない。男女交際のシステムは知っている。告白して、オーケーしたら、交際が始まる。そうすれば、放課後にふたりきりで話したり、手を繋いで下校することが可能になるらしい。
 そういう風になりたい対象が男だった場合どうすればいいのかとかは、全く考えていなかった。きっと分かってもらえると、月島の理解力に甘えきっていた。これは罰だ。
 月島は、何度も聞き返して、頭を捻って、なんとか噛み砕こうとしてくれていた。その度に申し訳なくなって、自分に対して苛立ちを覚え、部室を飛び出したくなった。

「ごめん」
「そうか」

 俺は先に部室を出た。告白して、断られたので、俺は振られたということになり、月島とはこれ以上の関係にはなれないことが確定した。

***

 単細胞で馬鹿の俺は、月島に告白したことなんて忘れていつも通りの生活をした。月島も大して気にしていないようだった。新学期早々日向と喧嘩していたら、「君たち本当に二年生? 新入生に混ざっても違和感なさそうだよね、精神年齢的に」と嫌味を言われた。かなり嬉しかった。もしかしたら、あいつなりの気遣いだったのかもしれない。
 月島がいつも通りでいてくれることにほっとしながら、月島を好きなまま、俺は日常を保っていた。告白失敗は、片想いの終わりを意味しない。普段頭の中を占領しているものは主にバレーボールだったが、そこに月島蛍が加わってしばらく経つ。
 あいつの下の名前は本入部してすぐに覚えた。何で覚えたかは忘れたが、最初に読みが入ってきて、漢字はかなり後になって覚えた。校内に掲示された成績上位者のランキング表だったか、返されたテストの点数を見せてもらった時だったか。読めない漢字を読める感覚が気持ち悪かった。蛍。そのあと月島から、けいこうペンの「けい」だと教わった。けいこうの「こう」はどういう字だ、と聞いたら「光るって字。さすがに書けるよね? ホタルに、光る、ペン」と言われた。ホタルとも読むのかと、印象に残った。
 インターハイ予選前、一学期の中間テストの勉強中、ふと筆箱の中から黄色いマーカーを取り出して、表面に書かれている文字を読んでみた。ロゴの横に「蛍光」とあった。気にしたこともなかった。何度見ても覚えていられないあいつの名前の漢字がそこに表示されていることに、気持ちが少し盛り上がり、テスト勉強用のルーズリーフに「蛍」と書いてみた。
 名前の話をしていた時、月島が「常用漢字だし、覚えておいて損ないかもね」と笑いながら言っていたのを思い出す。ジョーヨーってなんだ、と聞いたら「テストに出てもおかしくないってこと」と返された。ただ、テストに出るかもしれないから、書いた。そういうことにしよう。
 それからだんだん恥ずかしくなってきて、全く勉強にも集中できず、先程書いた漢字のあとに「光ペン」と素早く書き足した。なんとなく誰かに見られるのが嫌で、そのルーズリーフはすぐに丸めてゴミ箱に捨てた。
 部活や試合の時は、片想いの相手としてではなく、チームメイトとして接することができた。バレーボール脳というやつか。月島も普通だし、今まで通りこいつと学校生活を過ごせることに不満はなかった。インターハイ予選が終わると、月島は俺を放課後の特別教室に呼び出した。

「考えたんだけどさ」
「何を」
「何をって」

 俺は本気で月島が何を言っているのかわからなかった。たぶん、バレーボール脳になっていた。隣の席に座っている月島は大きくため息をついて、頭痛を堪えるように額に拳を当てていた。

「真面目に考えたのに」
「だから説明しろよ。急に何だよ」
「わかるでしょ。馬鹿なの。影山が言ったんだよ。好きだって」

 俺は四月からの月島への片想いのことをこの瞬間まで全て忘れていたが、全て思い出した。

「君のことで頭いっぱいだったよ、この二ヶ月くらい。影山はそうじゃなかったんだね」
「そんなこと、ない」

 俺はお前のことを考えすぎて、勉強中にもお前の名前を紙に書いた。

「お前、そんな風に見えなかった。俺が言ったことなんか気にしてないと思ってた」
「出さないように頑張ってたんだよ。なんか、格好悪いし。影山こそ普段通りだったよ。ムカつくくらいね」
「俺は、だって、フラれたから」

 月島が交際の申し込みを一度断った人間に伝えたいこととは一体なんだろう。

「振られてないよ。わからなかったから、一回考えたんだよ。色々調べたし。だから、今返事するから、聞いて」

 緊張で口の中が一気に乾く感覚は久しぶりだった。月島に気持ちを伝えた時もこんなに緊張はしなかった。一度振られたと思い込んでいたから、怖いことはもう何もないはずなのに。

「結論から言うと、僕は影山とちゃんとした恋人同士になれると思えない」

 振られた。

「最後まで聞いて、影山のも二ヶ月前にわけわかんないままがっつり聞いたんだから僕のもちゃんと聞いて」

 続きを聞く体勢になるまで時間がかかったが、月島がとにかく真剣な顔をしていたので言う通りにした。
 四月に俺が言ったのは「好きだ」の三文字。それから、追求されて答えた、好きになった時期と、理由と、月島の好きなところ。俺が風邪をひいた時、そばにいてほしいと思ったから、距離感と名前。俺が何を言っても、当時の月島は腑に落ちない様子だった。当然だと思う。俺と月島は部内でも校内でも、犬猿の仲で有名だという自覚がある。

「そばにいるだけでいいなら、僕は大丈夫だから、影山の希望は叶えられると思う。周りがどう思うかは知らないけど。影山が熱出した時は、普通に心配した。だから気付いてすぐに言った。影山との距離感は僕も気に入ってる。ここではぐらかしても仕方ないから、全部本当のこと。名前が好きっていうのだけちょっとよくわかんないけど、僕は自分の名前割と気に入ってるから、好きになってもらえて普通に嬉しい」

 やっと言えたと付け加えて、月島は一息ついた。俺はどうしようもないくらい顔が熱くて、とにかく汗が止まらなくなった。

「そういうのでいいなら付き合ってもいいってことだからね、伝わったよね、その様子だと」

 言葉にならず、頷くことしかできなかった。今月島が言ったことを受けて、さらに気持ちが大きくなったのが分かった。

「なんか言ってよ。恥ずかしいから」
「スマン」
「何それ、なんで謝るの」

 月島は笑いながら言った。
 付き合ってもいいということは、俺と月島は晴れて恋人同士というわけか。俺がずっとしたかったことを、頼んでみてもいいだろうか。

「手、繋ぐのは」
「うーん」

 だめか。交際期間が長くなったら、また頼んでみることにする。

コメント

タイトルとURLをコピーしました