【再録】※R18 ひな鳥のはかりごと(月影)

相合傘
 
 
 
 視界に入ってくる前から、そんな気はしていた。最近の影山は、何かにつけて僕にちょっかいを出してくる。
 帰りのショートホームルームが終わり、昇降口へ向かう途中、僕の背後から聞こえてきた会話はこうだ。

「どうしよう、雨降ってるのに傘ないよ」
「わたしも折りたたみしかないや。誰か二本持ってないかな」
「これ使うか?」
「えっ、影山くん、いいの?」
「俺は大丈夫なんで。じゃ」
「あ、ありがとう」

 急な夕立で困っていたクラスメイトに、影山が傘を貸していた。


「何が大丈夫なの」

 影山は、エナメルバッグを頭の上に乗せて僕の前に現れた。いつもは教室の机の中に置いて帰る教科書がたくさん入っているのだろう、とても重そうだ。今日から期末テスト前の部活動停止期間で、ホームルームが終わると、教室や図書室で自習したい人以外は一斉に下校する。

「あ? 聞こえてたのか」
「影山が一本しかない傘を人に貸すような心優しい人間だったなんて僕知らなかったよ。じゃあね」
「おい、傘入れろ」
「さっきの人に返してもらえば」

 それが人にものを頼む態度なのだろうか。第二学年の生徒達が殺到する昇降口の屋根の下で、いつも通りのやりとりをする。僕らのことをあまり知らない人には喧嘩のようにも聞こえるらしく、ただならぬ雰囲気と思ったのか、中にはちらりとこちらに視線を向けてくる人もいる。
 僕は正しいことしか言っていない。先程のやりとりの最中、影山には僕の姿が見えていて、こちらの傘に入ると決めていたのだろう。そうはいくか。

「折りたたみ傘だよ。君が入ったら僕が半分濡れるから嫌だよ」
「濡れるのが嫌なのか」
「何、当たり前でしょ」

 変な質問だなと少し引っかかったがスルーした。影山はまだ何か言いたそうな顔をして、口をモゴモゴさせていたが、続きはなかった。しばらくの沈黙の後「じゃあな、悪かった」と言って、小走りで階段を下りていった。バカだなと思った。女の子に傘貸して、自分は濡れて帰るって、どこの少女漫画の登場人物ですか。

 土砂降り、とまでは言わないが、そこそこ強い雨だ。鞄でなんか防げない。影山はきっと風邪をひくだろう。熱が下がるまでまともに勉強ができず、そのまま期末テスト当日を迎え、赤点をとってしまうに違いない。夏休みに予定されている合宿や練習試合は、補習とかぶって不参加となるかもしれない。これらは全て影山の判断の結果で自業自得。影山が雨に濡れるのは僕のせいではない。

 気が付いたら、僕は影山を追いかけていた。校門の前にはすでに水たまりができており、よけられずにローファーをつっこんでしまった。最悪。考えてみれば、追いつくころには影山はとっくにずぶ濡れじゃないか。すでに濡れてしまった奴に傘を差しだす意味。靴下が冷たくて気持ち悪い。本当は走るのをやめたいのに、なぜか僕は意地になっていた。
 校門を出て少し進むと一層雨が強くなってきて、眼鏡のレンズが水滴だらけになった。視界は悪いが、車通りの少ない道なので交通事故の心配はない。やる気がない時のランニングくらいの速度で走っていると、急に影山が現れた。てっきり自宅まで走りきると思っていたのに。影山の自宅がどこにあるのかまでは知らないが。

「ねえ」
「月島」

 話しかけたら立ち止まってくれた。影山の表情が少し歪んだのがわかった。いつも通りの面白い顔。だが、雨で体力が奪われているのか、心なしか元気がない。前髪が額にぺったりとくっついている。頭に担いでいる鞄はもう傘の役割を果たしていない。エナメル製のスポーツバッグなので、中身の教科書などは無事だろう。

「お前、濡れるの嫌なんじゃなかったのかよ」

 そう言われて、自分も影山と同じくらい濡れていることに気がついた。頭から爪先までびしょびしょ。乾いているのは抱えた鞄に守られているシャツの一部分だけだ。大雨の中、影山に追いつくスピードで走ったのだ、こんな小さな折りたたみ傘など無意味に決まっている。

「うるさい」

 ぐうの音も出ない。僕はどうしてこんなことをしているんだろう。一応、傘は影山の頭上に差してやり、自分も傘に入ろうと距離を詰める。

「家、どこ」
「もうちょい歩く」
「うち来れば、とりあえず」

 方向は少し違うだろうが、おそらく僕の家の方が近い。服を乾かして、傘を貸してやろうと思い立った。
 犬猿の仲である僕らも、チームメイトらしくなったものだなと思う。しかし、影山との関係を尋ねられたら、僕は一年の頃と変わらず「同じ部活の奴」と答える。決して友達ではない。ただ、紛れもなく、どうしようもなく、僕らはチームメイトなのだ。いつもつるんでベタベタするわけではないけれど、困った時には損得を考えず助けるべきだと思っている。だから、本当は嫌だけど、僕はきのうも自分の時間を削って影山の勉強を見た。こんな奴放っておいてまっすぐ帰ればよかったと後悔しながらも、こうして影山を傘に入れている。僕がいてもいなくても、影山の制服が吸い込んだ水分量は変わらない。それでも僕は、影山に傘を差してやっている。

「さ」

 僕が影山と並んで歩き始めてからしばらく経ってしまったので、さぞお礼が言いづらいだろうとは思っていた。次にタイミングが来るとしたら、服が乾いて僕の家を出る直前になるだろうか。僕はそんなことのために恩を売ったわけではないから気にしなくてもいいのに、影山は何か言いたげな雰囲気を隠そうともしない。僕はたまに素直に向かってくる影山がかなり苦手だ。

「サンキュ、な」

 お互いが半身に雨を浴びながら、かみ合わない二人三脚のようにもたもたと歩いている途中、なんでもないタイミングで、影山はつぶやくように言った。

「助かった」
「そういうのいいから。風邪だけひかないでよ」

 会話の直後、自分がおかしなことを言った気がして、今日ここまでの影山とのやりとりを思い返した。僕が傘に入りたがった影山を拒絶した言葉は、影山にもきちんと拒絶に聞こえたのだろうか。もしそうなら、影山はもっと僕に怒りをぶつけて良いのではないか。

「最初嫌がって断ったのに、追いかけるとか、変だって思ったでしょ」

 照れ隠しだった。自分の考えを素直に曝け出すことで、妙な想像をされなくて済むこともある。ただ、気が変わっただけ。僕が何もしないことで影山が体調を崩すのは気分が悪いから。心配とか、お節介とか、そんなんじゃない。頭の中を言い訳でいっぱいにして、影山の返事を待った。

「別に嫌がってはなかっただろ」

 僕は自分が濡れるのが嫌だと言った。たしかに影山を言葉で直接拒否したわけではない。ただ、嫌がっていなかった、というのは違うと思う。

「月島がいい奴なのはもう知ってるからな」

 水びたしのふたりが相合傘で歩いている姿は周りにどう映っているのだろう。こんなに長い距離をふたりきりで歩くことは、これまで一度もなかった。会話も続かない。ただ、今隣を歩いている奴から感じる、いつもと違う柔らかい空気に触れるのは、そんなに悪い気分ではない。「嫌がらない」ことをかき集めて善意とするのは、なんだか押し付けがましい気がするけれど。
 道なりに歩いていれば、もうすぐ自宅が見えてくる。服が乾くまでの待ち時間、茶菓子くらい出してやろう。確か戸棚に栗入りのどら焼きがあった筈だ。

 雨は、もうほとんど止んでしまっている。こんなことになるなら、影山を誘って教室で自習しながら、天気が良くなるのを待っていればよかった。冷静になると、とても恥ずかしいことをしているような気がしてしまう。歩幅を広げて速度を上げ、この気分をやり過ごす。影山は、自宅に到着するまでずっと、僕の歩く速さに文句を言いながら、律儀に傘に収まる距離でついて歩いていた。

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