ピンク・グレープフルーツ


初めてのキスは無味だった。お互いの唾液が行ったり来たりするこの行為は結構好きだったが、冷静になったときになるべく思い出さないようにしたいと思った。俺が慣れたのか、月島が上手なのか、動きや呼吸が噛み合っていたし、ずっとそうしていたら自分が口のところから溶けてなくなってしまうような気がしてたまに怖くなった。
頭の中で、今日ここに来るまでに学校であった出来事を話していた月島の声をずっと思い出していた。その時から、こんな風に俺に触りたいと、こいつは思っていたのだろうか。先程部屋に着いた瞬間「影山に触りたくてもう死にそう」と言ったのは、本当に同一人物だろうか。
俺はこいつ以外の奴とこんなことできないし、するつもりもないのに、何かで繋ぎ止めておかないと不安だったと月島は言った。恋人同士は、普通は、スキンシップを通してお互いの気持ちを確かめ合って、繋ぎ止めておくもの、らしい。
それを聞いて俺は、そういう理由をつけないと触れるのを許してもらえないのかと思った。俺は月島がいる時に月島とする普通のやりとりが好きだし、月島がいない時に月島のことを考えるのが好きだ。それだけで満たされていて、そのままで別にいい、とも思っていた。
キスも、セックスも、したくなった時にする、ではいけないのだろうか。こいつは難しいことを考えるのが好きだなと思った。そのおかげで俺はやっと恋人に触れられるので、お互い様といえばそうなのだが。俺たちは「したい」を言えないまま、関係を保てる限界を迎えようとしていた。

「別に、それなら、早く言えばよかっただろ」
「君は断られて気まずくなったらとか、考えないの。それに、影山、そんな気無いみたいだったし」
「気遣ったのか、俺を?」
「そんなわけないでしょ」

いつの間にか毎日のように休み時間に会話をするようになって、ふたりで昼飯を食うようになって、部活が終わった帰り際にふたりきりになることが多くて、いつからだっただろうか、もう少し一緒に居たいと思うようになった。お互いにそう思っていることがわかったのは、久しぶりのオフの日に、月島から会って話したいと誘われた時だった。嬉しかった。

「怖いんだよ、嫌われるの」
「俺がお前を嫌いになると思ったから言えなかったのか」
「そうだよ」

こうして色々と考えすぎてしまう月島を、馬鹿だなんて思ったりしない。だが俺は、この時の月島を「馬鹿」以外で呼べる語彙は持ち合わせていなかった。


服脱ぐのか、と聞いたら、多分ねと言われたので脱いだ。ただのTシャツなのに、普段のようにうまくは脱げなかった。部活が昼で終わり、しばらく炎天下を歩いてきたので仕方ない。月島の母親は、ちょうど習い事に行っているそうで、夕方まで帰ってこない。
なんとかシャツを脱ぎ終わり、これからいろいろなところをまさぐられるのかと思って身構えたが、ただ抱きしめられた。身長との比率で細く見えるが、意外にも筋肉質な腕をしている。月島は俺の胸や尻ではなく、まずは背骨や背筋を撫でたかったらしい。同じように抱きつくと、なぜか泣きそうになった。

「キスもしたことないんだよ、僕ら」

月島も、同じように、涙を堪えていたのかもしれない。



ふたりしてベッドに寝転がり、唾液が口の端から溢れるのにも構わず夢中でキスをした。舌と舌が触れ合うたびに腰の辺りがそわそわして、その感覚が欲しくて、呼吸をするためか離れていった月島の下唇を思い切って舐めてみた。月島は、ふ、と微笑むと、また俺に覆いかぶさり深く口づけてくれた。たまにシューと鳴くクーラーの音、窓越しにザワザワと聴こえる蝉の声、それから、月島が汲んでくれた麦茶の氷の溶ける音がする。
ぴちゃ、と近くで水っぽい音がした。月島は俺の首筋にキスしているようだ。少し寂しかったが、気持ちいい。こうやって、順番に降りていくようにすれば良いのか。次は自分も同じようにしてみようと思った。汗をかいてかなり汚いのではと思ったが気にしないようにする。
さっき抱き合っていた時、月島の首から甘い匂いがしたのを思い出した。ボディソープの香りが残っていたのか、制汗剤の香りなのかはわからないけれど、とにかく全く汗臭さがないのが不思議だった。
味が気になって仕方なくなって、俺は俺をしゃぶるのに夢中になっている月島をひっくり返して、同じように首を舐めた。

「別に、美味くねえな」

月島は吹き出した。

「グレープフルーツの味でもすると思ったの」
「思ってねえ」
「影山が思ったより積極的で安心したよ」

月島はまたキスをひとつくれた。

風呂や脱衣所以外で全裸になるのはおそらく初めてだと思う。しかもここは自分の部屋ではないから、かなり居心地が悪い。この部屋には俺と月島しか居ないのに、何故だか誰かに見られている感じがする。そういえば、こういうことは暗くなってからするんじゃないのか。昼間からしても別にいいのか。月島は俺とは比べ物にならないくらい頭がいいし、そういうことも全部知っているだろうし、きっと大丈夫だ。
月島はローションを手のひらで温めている。君のためだと言われたので、早く触れてほしいのを我慢した。

「嫌だったらすぐに言ってね」

頷く。

「あんまり声出さないでね」

なんのことだろうと思ったが、頷いた。自分で中をいじった時、声が出ることは一度もなかった。
しばらく肛門を撫でられてから、どれかの指を挿入されるのがわかった。そんなに不快感はなかった。結果、自分で慣らしておいてよかった。ぐち、ぐち、と粘り気のある水が音を立てている。

「影山」
「あ」
「ひとりでここ、いじってたの」

心臓が止まるかと思った。月島は指を動かすのをやめていた。声が出ない。さっきあんまり声出さないでと言われていたので、俺は開き直って、無視した。

「なんでそんな普通な感じなのかなって」

今度は、心臓の音がうるさい。体内に酸素を取り込む方法を忘れてしまった。

「僕もね、試したことあるんだけど、自分のお尻で」

ああ、なんだ、同じじゃないか。俺は安心した。男同士で挿入を伴うセックスがしたいなら、ここを使うしかないのだ。

「痛すぎて無理だったから、たぶん君もそうだと思って、続きができないこともあり得るって覚悟してた」
「お前いつも最悪の事態想定してるな」
「こればかりは仕方ないんだよ。でも今、できるかもって思ってテンション上がった。ありがと」

持ち上げて開いた脚の間から見える月島はお礼を言いながら指を俺の尻に再度挿入した。手の甲側を上にして挿入し、ぐり、と内壁を撫でながら向きを変えて腹側をさする。自分でするより奥まで届いているが、月島の指はあまり太くないので物足りない気もする。それでも、月島は丁寧に、痛くないように、これから立て続けに異物が挿入されるであろう器官の許容量を増やすべく、押したり引いたりくねらせたりしている。三本の指がスムーズに出たり入ったりするようになったところで、月島がジャージを脱いで裸になり、どこからか出してきたコンドームをつけた。
枕にスポーツ用のタオルをかけたものを、俺の腰が持ち上がるように置いて、気遣うようにキスをくれた。

「結構慣らしたけど痛いかも」
「わかった」

月島の勃起したそれを見て確かに痛そうだと思った。というか、本当に、こんなものが、尻に?
後ろに転んでひっくり返ったような格好で混乱しているうちに、びしょびしょの尻にぬるりと月島の性器が挿入された。
白くて、長い。太い。固いような気もする。指なんかじゃ足りないと思っていたのに、もうわかったから抜いてくれと突き飛ばしたくなった。ちぎれそうなくらい強くシーツを掴まないと痛みを逃せない。背中が限界まで反りかえっているのがわかる。月島に言われた通り、声が出ないように息を止めて我慢した。が、少し漏れてしまったかもしれない。

「息して、ごめん、影山」

涙が止まらない。シーツを掴む手を取られたのでそちらを握り、降ってくるキスに訳もわからず応えた。

「ッぅ、ふ」

月島がもう謝らなくていいように、一生懸命呼吸を整える。月島は子どもをあやすように頭を撫でてくれている。頭の中でずっと想像していた、俺の名前を呼んで乱れる月島をはやく見たい。

「びっくりしただけだから、もう、平気だ」
「ちょっとずつするから、無理になったらやめるからね」

月島は本来底抜けに優しい。だから、嫌味を言われても心底嫌いにはなれない。交際が始まってからは気遣いを感じる場面も多く、そのたびに鼓動が早まるのが悔しかった。

「ほんとは、もう動きたいけど」
「大丈夫だから、はやく」

本当は大丈夫なんかじゃない。痛みを堪えるのが難しい。こいつを一発殴って早く帰りたい。同時に、ずっとこのままがいい、とも思っている。はやくめちゃくちゃになるまで抱いてほしい。

「俺は、お前になら何されてもいい」


月島が腰を打ちつける音が、ぱち、ぱち、と規則正しいリズムで鳴っているのがわかる。月島の様子を気にする余裕がまるでないが、ちゃんと気持ちよくなれているんだろうか。俺は快感から痛みも麻痺してきて、ただただだらしなく喘いでいる。月島はこんな姿を見て幻滅してはいないだろうか。声が外に漏れないように、唇を噛んだり、手で押さえたりするだけの余裕はある。挿入されたものが奥の奥の方に当たり続けていて、笑ってしまいそうなくらい気持ちいい。

「つかれた」

そう言って動くのをやめると、月島は涙を拭って軽めのキスをしてくれる。もう同じやりとりを三回くらいしている気がする。

「変になる」

声が裏返りそうになったが堪えた。さっきから泣きすぎて鼻水が出ている。それ以外にも身体中、穴という穴からいろいろな汁が出ているのでもう放っておくことにした。もうやめたいかと聞かれたので、首を横に振った。

「お前が、へばってんだろ」
「正直もう諦めたい」
「がんばれ」
「ほんと、一回も動かしたことない筋肉しか、使ってない感じ」

確かに、そんな動きは俺もしたことがないし、実際そうなのかもしれない。

月島も同じように声を堪えていたようだが割と「あ」だの「う」だの喋っていた。今は、たまに聴こえる声から、徐々に余裕を感じられなくなってきている。ボリュームも上がっている。さっき俺に声出すなと言ったのは誰だ。幸い家の中には誰もいないし、これくらいなら外にも聞こえていないだろう。家に人がいる日にしたくなったら気をつけるようにあとで伝えようと思う。
初めてするセックスにしては上出来だったんじゃないか。へろへろに乱れていく月島を見れて俺は満足だったし、俺に触りたくて死にそうだった月島の目的も果たされた。帰る時間も近いだろうしもうそろそろ終わりでもいいなと意識をどこかにやっていると、今までで一番深いところをがつがつと突かれて、引き戻されてしまった。

「あ、あっ」

二音ほど漏れたか。急だったので仕方がない。咄嗟に手で口を押さえて、再び襲ってきた痛みを堪えるために目を瞑る。もう射精したくてたまらないんだろうなと動きでわかる。もしかしたら血が出ているかもしれない。別にいい。明日は、学校も部活も休みだし。さっきまでこちらのご機嫌を伺うようにキスをしたり手を握ってくれた月島はもういない。こいつはいよいよ自分が気持ち良くなることだけを考えている。もし俺が月島の立場だったらと想像しても、きっとそうなるだろうと思った。こちらも決して痛いだけではないから、構わない。

「あ、出る……」

呼吸をするのがやっとだったので返事はできなかったが、なんとなく内腿に力を入れて構えた。

やっと終わった、とか、長かった、が正直な感想だった。ただ、終わってすぐにキスをしてくれたのが嬉しかったから、またこの妙な行為に夢中になれる日があったら、次は俺からも同じように、キスをたくさんしてやろう。

甘い香りの正体は、グレープフルーツのイラストがパッケージに描かれた制汗剤だったようだが、月島に借りて商品自体を嗅いでみても、先程と同じ匂いはしなかった。

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