ピンク・グレープフルーツ

俺を抱きしめる月島の首筋から果物のような香りがする。これはそういう、恋人の隠された秘密みたいなものを、順番に確かめていく作業なのだろう。匂いで、味で、感触で、全部を知っていくことで、この行為を日常にしていくのだと思う。

「キスもしたことないんだよ、僕ら」
「おう」

月島は笑いながら、泣きそうな声で囁く。ずっとこうしたかったような気もするし、できればなあなあにしておいて、スキンシップのない関係を保ちたいと、どこかで思っていたのかもしれない。
交際が始まったら、ふたりの関係は勝手に前に進むものだと思い込んでいた。もう慣れた相手だ、いつも通りにしていれば何も起こらずきっとうまくいくだろう、そう考えた。そうしていたら、本当に何も起こらず、何も起こらないことで、俺と月島はだめになった。
恋人みたいに手を繋ぎたいなら、キスがしたいなら、肌に触れたいなら、そっちからそう言えばいい。お互いに意地になっていた。本当に馬鹿だと思う。口論の末、俺に気がないのではと不安に思っていた月島が、先に折れて気持ちを打ち明け、俺は了承した。
性欲はあるし、ひとりで自身を慰める日もある。これが月島の手ならどんなにいいかと思いながら、本来性器として使用しない部分に指を挿入したこともある。それでも俺は、そういうことを、恋人である月島に打ち明けることはなかった。
高校二年生だし、恋人がいる人はみんな、言わないだけで、きっと同じようにこういう風に肌を重ねて、次の日何ともなかった顔をして登校している。それが彼らの日常。俺たちもさっさとそうなれたらよかったんだ。お互い様なんだから、「ずっとこうしたかった」なんて言ってやらない。

「俺は」
「うん」

月島は俺の裸を包む腕を少し緩めて、また抱きしめ直す。骨や筋肉の凹凸を確認するように背中をさする。少し、くすぐったい。

「お前に大切にされてるから」
「ふは」

耳元で吹き出すな。

「僕のことも大切にしてくれてありがとう」

慣れない冗談が伝わりほっとしていると、ぴったりくっついていた身体が急に離れ、ベッドがギシ、と音を立てた。
行為の前のハグやキスは、服を着たままするのか、裸になってからするべきかわからなかったので、先にTシャツだけ脱いで抱き合っていた。男女がキスをして、いろんなところを触り触られながら、いつのまにかふたりとも全裸になっている映像を見たことがあるが、そんな器用な真似は俺たちには無理だろう。
月島の部屋のベッドに腰掛けて向かい合っている。抱き合っていた時間はほんの数分だったが、肌が触れていない時間を切なく思う。眼鏡を外した月島の顔をもっと見たいと思った。

「裸でも眼鏡はとらねえのか」
「見えなきゃ意味ないから」

眼鏡は視力が悪い人がかけるもの、そういえばそうだった。
しばらく見つめられている。ずっと目を合わせているのは難しい。たまらなくなって、うつむいて、月島のジャージのズボンに何本かの指をそっと置いてみる。俺からのアクションはこれが精一杯だった。本当はもう一度抱きしめてほしいのに、自分から抱きつくのは悔しくて、俺はこの期に及んでまだこういう感じなのかと後悔した。

「キスの時は、外した方がいいのかな、眼鏡」
「ぶつかったら、とればいいだろ」
「そうだね」

会話の最中に、耳のひだを弱い力でなぞられて少し身体が跳ねた。急だな、と思ったが急ではない。俺たちは今そういうことをしているんだから。月島の顔がゆっくり近づいてくる。キスされると思った。

「な、なんか言えよ」

目を閉じたら急に恐ろしくなった。別に今からこいつに殴られるわけではないのに。

「何、調子狂うこと言わないで。びびったんでしょ」
「びびってねえ」
「今からキスします、これでいいですか」

俺は頷いた。目は閉じたまま。

「ねえ、今日これで終わりじゃないからね、わかってるんだよね」
「わかってるよ」

二秒後くらいに、唇に柔らかいものが当たって、これがキスかと思った。先ほど気の抜けた会話をしたからか、思ったより冷静でいられる。ふわふわと何度も当たったり、少し吸われたりして、ずっとこうしていたいと思うくらい気持ちいい。自分も真似したくなったので、同じようにした。そういえば、眼鏡はキスの邪魔にはなっていないようだ。
唇に湿り気がある方が気持ちいいとわかったので、度々舐めていたら、口を離した瞬間に変な音が鳴って恥ずかしかった。月島はそれに構わず、俺の唇や舌を舐めたり吸ったりした。呼吸の仕方がわからない。乱れた息を整えるために離した口を塞がれ、苦しかった。強引な奴だなと思った。

「ごめん」

月島は謝って抱きしめてくれたので、許した。

「全然余裕ない。影山が好き」

胸の辺りに火傷する温度の水飴が流れてきたような痛みを感じて目を開けた。月島は、滅多に俺を好きと言わないし、逆も然りだ。言葉にしなくても伝わっていると思い込んでいたことを改めて言われて、一緒にいようと決めた日のことを思い出した。月島の背中に触れると温かかった。

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