きっと、苦い(つかよだ)

居酒屋で働くフリーター司×店の常連夜鷹です。すべてが捏造です。
R18なので18歳未満の方は閲覧しないでください。






 司くん、キミは知らないかもしれないけど、彼は有名な人だから、来たらそこの個室に通してね。たばこを吸う人だから、席についたら、灰皿を出して。アルバイトを始めてすぐに店長にそう言われ、それから毎回その通りにしている。俺はこれまで彼を見たことがなかったし、彼の名を知らなかった。黒い髪に黒い服。黒いサングラス。来店はこれでもう何度目になるだろう。おしぼりを置いても、料理や飲み物を提供しても、いつも彼はたばこを吸うのに夢中でこちらを見向きもしなかった。有名人って、みんなこんな感じなのかな。

 個人経営の、小さな居酒屋。ここで働いているのは、店長とアルバイトの俺だけだ。出勤したら、店長に元気よく挨拶をして、狭い更衣室で和服に着替え、客が来るのを待つ。今日の予約は少なめだから、暇そうだ。軽く拭き掃除をして、卓上の調味料を整える。俺にも出来る仕事はまだたくさんありそうだけど、出勤する頃にはもう店長が全て済ませてしまっている。手伝おうと早めに出勤したときは、「これ以上お給料あげられないから、時間通りに来てくれればいいよ」と言われたので、次の日からは言われた通り、開店時間の直前に着くようにした。昼間の事務のアルバイトよりも時給は安いけれど、ここでの仕事はかなり気に入っている。

 客足が落ち着く頃、彼は現れる。店長と個人的にやり取りをして、席を空けてもらっているんだろうか。夜鷹純。フィギュアスケートの選手だったらしい。スポーツ観戦にあまり興味がない俺にとって、彼は全然知らない人だった。いつものように元気よく「いらっしゃいませ」と声を掛け、上着を預かり、この店にひとつしかない個室に案内する。
 個室と呼んではいるが、ここは店のくぼんだスペースにあるテーブル席だ。扉があるわけではないから、ここに夜鷹純が座っているのが誰かにバレたりしないかいつも心配になる。彼は有名人だから、知っている人に見られたら、きっと大騒ぎだ。完全個室の居酒屋なんてたくさんあるのに、よっぽどこの店を気に入ってるんだろうか。彼はいつも通り、壁際の席に座った。顔が見られる心配のない通路側の席ではなく、壁際の席を選ぶのはどうしてだろう。

 日本酒と水と何品かの料理を運んだけれど、注文を取った覚えはない。店長に任せているんだろう。確か、小さな刺身の盛り合わせと牛タンのつくねを運んだ。刺身の盛り合わせは名物で、ここに来た客はほぼ全員が注文する。牛タンのつくねは、胡椒がきいていて、俺も大好きな味だ。食べているところを見て反応を確認したかったが、やめた。
 彼は食事が済んだらすぐに席を立つ。千円札を何枚か受け取り、彼を扉の前まで送る。お釣りを渡そうとしてもいつも無視される。以前店長に聞いたら、気にしないでと言われた。小銭をあまり持ちたがらない人はいるけど、同じような感じなのかな。
「ありがとうございました」
 扉を押さえながら元気よく挨拶すると、いつもは振り向かず去ってしまう彼が、ちらりとこちらを振り返った。声が大きかっただろうか。
「次もあの料理、持ってきてね」
「え? あ」
「店長に伝えて」
「は、はい!」
 初めて話ができた。サングラスをかけていて、表情は分からなかった。俺の好きな料理をこの人も気に入ったんだと思うと、なんだか嬉しかった。自然と笑顔になって、腹から声が出てしまった。アルバイトを終えて車で家に向かう間も、疲れを忘れるほど気分が良かった。思ったより、柔らかい話し方だったな。変な人だと思っていたけど、実は話しやすい人なのかもしれない。

 なんとなく入った大学を卒業して、フリーターになった。今は正社員じゃなくても稼げる時代だからな、と正社員になった同級生にフォローされ、それから疎遠になった。面接は数十社受けたが、どこにも採用されなかった。ただ生活ができれば良かった俺は、大学一年生の時に始めた事務のアルバイトをそのまま続けることにした。
 居酒屋のアルバイトは、大学時代の同級生からの紹介だった。親戚がひとりでやっている居酒屋を手伝ってほしいと連絡が来て、金銭的に余裕のなかった俺は喜んで引き受けた。店長は優しい。大した仕事はしてないのに、いつもたくさん褒めてくれる。
「司くんは接客に向いてるね。明るくて、ハキハキしていて」
 閉店間際、最後の客を送り出したところで、厨房で作業している店長に話しかけられた。店長が忙しそうにしていても、俺にできる仕事は少ないから、なんだかそわそわする。でも、たしかにこの店で働き始めてから、性格が少し明るくなったような気がする。
「そんな、全然。俺なんかまだまだで」 
「司くんを気に入って、来てくれてる人もいるよ」
「え、そうなんですか」
 俺がここで働き始めてからもう二ヶ月になる。自分の存在が少しでもこの店の売上に貢献できているなら、喜ばしいことだ。

「君の電話番号、ここに書いて」
 夜鷹純が久しぶりに来店した。料理を運んで個室を離れようとすると、彼は俺に話しかけてきた。いつもはずっとたばこを吸っていて、目も合わせてくれないのに。彼は備え付けの紙ナプキンをテーブルの上に一枚取り出し、こちらを見つめている。話をするのは二度目だが、素顔はまだ見慣れない。びっくりするくらい顔が小さい。サングラスがないので、しっかりと目が合う。普段、客とコミュニケーションを取るときに、こんなに緊張したことがあっただろうか。俺は少なからず、彼が有名人であることを意識してしまっているのかもしれない。客から連絡先を聞かれたことは前にも何度かあるが、笑顔で丁重にお断りしたのを覚えている。
「俺の、個人の番号ですか?」
「店長に聞いても、教えてくれなかったから」
「それは、当たり前でしょう。電話番号なんか聞かなくても、店で話しかけてくれたら、俺」
「僕は」
 この人、いくつなんだろう。酒を飲んでいるから、少なくとも成人はしている。座高の低い彼と話すと、なんだか子どもとやり取りしている気分になる。
「君の仕事を見ながら酒を飲むのが、好きなんだ」
 確かに、この個室からは、店の様子が結構見える。俺が注文を読み上げたり、料理や飲み物を受け取る姿も、ここからなら見えるだろう。だからいつも通路側ではなく、壁際の席に座っていたのか。
 この店にこんなに若い人が通うのは珍しい。連絡先を聞かれて、こんな気持ちになるのは初めてだった。夜鷹純が、俺を気に入っている。もしかしたら、これがきっかけで、良い友人になれるかもしれない。何より、これを断ったら、この人はもう二度と口を利いてくれなくなってしまうかもしれない。
「はい、これ、俺の番号です」
「今夜、電話するね」
 高揚感と、嫌な予感が、同時に胸をときめかせる。アルバイトが終わり、車に乗ろうとした瞬間に、見覚えのない固定電話の番号から着信が入った。

 俺は今、夜鷹純の家でシャワーを浴びている。寝室で彼を待たせている。このまま逃げたい気持ちと、彼をあまり待たせてはいけないという焦りが同時に襲ってきて、ここから動けない。もう、何度も顔面をすすいでいる。
 以前、失礼かもしれないと思いながら、夜鷹純について調べたことがある。そのときに、大きな大会の映像も観た。髪型が違ったので、本当に同じ人かどうか俺には判断できなかったが、画面には確かに彼の名前が表示されている。光を反射する素材がふんだんに使われた煌びやかな衣装に身を包んだ彼は美しかった。鳴りやまない拍手の音も、まだ耳に残っている。本当に、有名な選手だったんだ。その彼の家で、裸になっている俺。どうして、こんなことになったんだっけ。

「君、今から言う住所に来れる?」
 車に乗り込みながら電話に出ると、挨拶もなく、用件を言われた。名乗られてはいないが、夜鷹純であることは間違いない。というか、どうして固定電話なんだろう。今どきスマートフォンを持っていないというのは考えにくいが……。
「どこに向かえばいいですか」
 言われた住所を検索すると、店の近くにある、大きいマンションだった。自宅だろうか。すぐに向かうと伝えると、ぷつりと通話が終了した。

「座って」
 案内されて、柔らかいソファーに腰掛ける。部屋は広いが、ほとんど家具がない。置かれている棚や植木鉢は黒で統一されている。彼らしい部屋だと思った。
「素敵なお部屋ですね。黒が好きなんですか?」
「……」
 答えたくないみたいだ。空気が重い。しかし、彼が俺を気に入っているという事実があるから、俺はここに座る心の余裕を作ることができた。無視されたって平気だ。隣に座った彼は、たばこを吸いながらしばらく黙っていた。何か個人的に話したいことがあったわけじゃないのか。悩み相談を受けるのは、昔から得意だったのに。
「夜鷹さん、用事がなければ」
「君さ」
 吸い終わったたばこを灰皿に押し付けながら、彼は言葉を遮った。驚いて固まっている俺の手の甲に細い指を這わせ、猫がすり寄るみたいな仕草で肩から胸へ頭を擦り付けている。表情は見えない。何が起こっているのか理解できない。花のような香り。さっきまで煙まみれだった男なのに。
「こんな風に、人に甘えられたことはあるの?」
 立ち上がったり、振り払うことはしなかった。出来なかった。金縛りにあったみたいに体が硬直している。自分が自分じゃなくなっていく感覚。みるみる顔が熱くなる。心臓の音を、聞かれている。
「な、よ、夜鷹さん、やめてください」
「司くん」
 夜鷹さん、俺の名前を知っていたのか。吐息の混じった声の響きが、視界をぐにゃりと歪ませる。捕らわれている。もう逃げられない。
「僕はずっと、君に抱かれて眠りたかったんだ」

 風呂から出て寝室に戻ると、大きなベッドに腰掛けてたばこを吸っている彼の姿があった。俺の顔をじっと見てから、たばこの火を消して、ゆっくり立ち上がる。俺が身につけているのは前を隠すバスタオルだけだ。それは夜鷹さんの手によって簡単に取り去られ、彼はそのまま目の前で跪く。
「シャワー、長いよ」
「すみません」
 素直に、こんな感じで始まるのか、と思った。こういう経験がないから、何が正解かわからない。「暇なら、頭を撫でて」と言われたので、その通りにする。当たり前だけれど、手触りが自分の頭と全然違う。長めの髪に櫛を通すように撫で、指先で頭皮を触り、頭の形を確かめる。どういうわけか、指先がピリピリと敏感になっている。夜鷹さんの小さな頭を撫でるのに夢中になっていたけれど、ふと自身に与えられている強い刺激に気付く。
「あっ」
 自分からは見えない部分を舌でそっとなぞられて、恥ずかしい声が出てしまう。喉の奥まで性器をくわえて、じゅるじゅると唾液を絡ませながら引き抜いていく。たまに手でしごかれると、腰が抜けそうになる。フェラチオの映像を観るときはいつも、歯が当たって痛そうだな、と思っていたが、実際そんなことはなかった。耐えられずに、口元を両手でおさえる。喉の奥で鳴る声も、呼吸の音も抑えられない。こんなに息が上がっていたのか。
「ベッドに行こうか」
 自分の性器が腹にくっつくくらい勃起している。手を引かれ、ベッドに誘導される。体が熱い。早く、どうにかしてほしい。ベッドに乗ると、俺は無意識に仰向けに寝て、荒い息を整えようとした。隣を見れば、裸になった夜鷹さんと目が合う。じっと見つめても、彼が何を考えているのかはわからない。ただ、美しいだけだ。
「あの店、やめないでね」
「辞めないです、俺、あの店好きなんで」
「うん。ずっと、いてね」
 夜鷹さんはしゃべりながら俺の上に乗って、大きくなった俺の性器を肛門に挿入している。そんな大きなものを、尻に。入るわけないだろうと思ったが、尻がぺたりと体にくっつく音がした瞬間、彼の細い体の中を占める俺の割合を思わず想像した。他人の腹の中は、あたたかい。夜鷹さんは、ふう、と大きなため息をひとつついた。表情が歪んでいる。絶対に、体にかなりの負担がかかっている。

 ローションか何かを仕込んでいたのか、ぬちゃぬちゃ、ぱちぱち、といろんな音がする。俺はシーツを掴んで、涙を流して喘ぐことしかできない。
「かわいい」
「あ、あっ、あ」
 気持ちいい。快感で思わず目をつむってしまう。息を整えるために時々動きを止めてくれるので、目を開けて乱れている夜鷹さんを観察する。彼の表情は楽しそうだった。この人も、こんな風に笑うんだ。髪が汗で頬に張り付いている。
「ま、まって、待って」
「ふ、いきそう? 僕も」
 待ってって言ってるのに、動くのをやめてくれない。射精するタイミングを自分でコントロールできない感覚に、脳みそがはじける心地がした。夜鷹さんが俺の腹に射精するのと同時に、俺も夜鷹さんの中で果てた。
 それから、ふたりとも裸のまま眠った。眠りにつくまで、腕の中の夜鷹さんの後頭部を優しく撫でていた。充足感よりも、大切な何かを失ったような感覚が大きい。俺と夜鷹さんは今日、単なる従業員と客の関係ではなくなった。この先、一体どうなるんだろう。夜鷹さんが俺と恋人になりたいのか、身体だけの関係でいたいのかがわからない。
そういえば、今夜、一度もキスはされていなかった。

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